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観光・スポット

旧柚木家住宅(西爽亭)はどんな場所?行って調べてみました!

倉敷市玉島にある西爽亭を知っていますか?
西爽亭は、備中松山藩(現、岡山県高梁市)の飛び地であった天明年間(1781~1789)に建築されたとされている国の登録有形文化財です。
ここでは、西爽亭について調べてみましたので、倉敷市玉島へ観光に来たときの参考にしてみてください。

西爽亭とは?

西爽亭
西爽亭は、天明年間(1781~1789)に建築されたとされ、現在の福山市神辺町の儒学者、菅茶山によって「西爽亭」と名付けられました。
柚木家は備中松山藩に仕えた庄屋の家でした。
藩主の坂倉候が玉島に巡回した時に宿泊場所にした建物で、海運で栄えた玉島港そばに建っており、西爽亭は主屋に附属する座敷棟で、木造平屋建てで本瓦葺になっています。
備中松山藩は、玉島港を藩港にしていて玉島は備中松山藩の飛び地だったそうです。
平成5年に、柚木家から倉敷市に寄付され、現在は西爽亭と主屋部分が和室3室と会議室2室の生涯学習施設の部分になっています。

西爽亭の庭園。山麓を利用して石を立体的に配置していて、茶室もあります。

湯殿。

殿様専用のかわや(小)。

こちらも殿様専用のかわや(大)。こちらを向いて座るのではなく、奥の方を向いて座ってしたそうです。
出っ張ってるところは、つかまるためではなく、着物の裾を引っ掛けるために使っていたそうです。

熊田恰自刃の場所


熊田恰の自刃の場所。(この日は、屏風展で屏風が飾られていました。)
備中松山藩士の熊田恰は、慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いの時に幕府方として、藩主板倉勝静の親衛隊長として活躍しました。
戦いに敗れ備中玉島に上陸しましたが、備中松山藩は明治新政府の征討を受けたため藩主は熊田恰らに藩に返ってくることを認めませんでした。
新政府側の岡山藩兵に囲まれた熊田恰は、部下の助命を嘆願し西爽亭の次の間で自刃しました。これにより、玉島は戦火を免れたと伝えられています。
西爽亭には、熊田恰が自刃したときの血が天井まで飛び、その後を何者かが拭いて白くなっている場所があります。

新島襄とのゆかり

同志社大学
新島襄(1843~1890)は上野安中藩の江戸藩邸の子息として生れたました。
19歳の頃、安中藩の学者川田甕江(かわだおうこう)の漢学塾で学んでいる際に、備中松山藩が購入した洋式帆船快風丸の玉島港へ寄港すると聞き 甕江の推薦で備中松山藩主の許可を得て、快風丸に乗船して玉島港に寄港した。
ここで新島襄は松山藩主も泊まっていた柚木家の風呂に浸かったことが自叙伝に記いています。
この後、新島襄は北海道函館に行き、アメリカに渡りました。そして帰国後、同志社英学校(後の同志社大学)を創立しました。
尚、川田甕江は西爽亭近くの玉島中央町の回船問屋「大国屋」に生まれです。

入場料や料金は?

西爽亭見取り図
西爽亭の入場料は無料です。
施設を利用する場合は、1時間あたり次の料金がかかります。

室名 金額
第一和室(12帖) 220円
第二和室(12帖) 220円
第三和室(7.5帖) 110円
第一会議室(70㎡) 220円
第二会議室(12㎡) 110円

和室や会議室を利用したい場合は、使用許可申請書と使用料を添えて申込みします。(6ヶ月前から受付)

駐車場は?

西爽亭駐車場
西爽亭の駐車場は、すぐ近くにあります。5~6台くらい停められるでしょうか?
駐車料金は無料です。

アクセス


場所:〒713-8102 岡山県倉敷市玉島3丁目8−25
電話番号:086-522-0151
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週月曜日、年末年始(12月28日~1月4日)
月曜日が祝日の場合は開館。最も近い祝日でない日を休館。

まとめ


倉敷市玉島の西爽亭について調べてみました。
入館料は無料だったのですが、受付のかたが、とても親切に説明してくれました。

今回西爽亭について調べていくうちに、江戸時代の玉島は北前船が来るなど、とても栄えていたことがわかりました。
西爽亭の近くには、羽黒神社や円通寺、ドラム缶橋などの観光スポットがあります。
また、Bistro武田屋などのグルメスポットもあります。

倉敷観光のついでに玉島によってみるのもいいと思いました。